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第21回  紅茶と文学  報告  

課題本 「夢十夜」

 夏目漱石 著

2020/5/31@オンライン

1908年 発行

まだまだコロナの影響は続いている2020年の5月ですが、

悪夢を見る人の数が増えているとのこと。

不安な心の表れでしょうか。

そんな中あえて夢十夜の非現実的世界に浸るものありだと思います。

 

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以下内容に触れる箇所もございますのでご了承ください。  

-ご挨拶-

 

 今回は5名の方にお集まり頂き、初参加の方が2名でした。

 

 今回のお茶

  1. 各自用意した紅茶もしくはコーヒー 

■オンライン読書会2回目

 

こんにちは。

緊急事態宣言も解除され、徐々に経済活動も再開されています。

以前の日常に戻るのか、または戻らないのか、と言う不明瞭な霧の中を歩いているかの様ですね。

 

そんなフワフワした夢のような世界を物語を通じて話し合おう、という事で夢十夜を課題本に設定しました。今回はGoogle Meetsを使ってみたのですが、安定性がイマイチでした・・・。やはりZoomの有料プランが必須かもです。

 

以下読書会を終えての感想を参加者の方から頂きました。

■「夢十夜」オンライン読書会終えての感想等

 

●漱石の中で1番好きなお話です。
皆さん、深く読み込んでますね!漱石と西洋文化の関係や視点の入れ替わりとか、言われてはじめて気付く点も多く。1夜、6夜はもともと好きで、今回は7夜もいいなと。

海に沈む直前に「生きたい」って気付くの、夢の中の話だから良かった。希望のようなものを感じました。

すべての夢は薄暗くて、全体的に不安感のある、、悪酔いみたいな作品なのですが、なんか安心するんですよね、暗さに。8夜と10夜が繋がってる旨も知れたので、実り多いひと時でした。

 

●色々な読み方があると思いました。その発見が楽しかったです。同時にもう少し、同じ視点から交われたら面白かったとも思いました。漱石自身や時代背景からの考察は、参加者各々で情報量が違うので、本文の言葉、表現に帰るのもいいなと感じました。

 

●得てして誰かが見た夢の話は退屈なものになりがち。
夢の中では出来事と観測者の内奥が継ぎ目なく繋がっていて論理の襞が見付けにくく、客観性をたもちながら話すことが難しい。もうひとつ。それが何かしらの暗喩であるかのように見える。
夢の話をする側からしてみれば、それは君の抑圧された感情から生じたものだよ、と言われても堪ったものではない。夢の話を聞く(あるいは読む)時、私たちはメビウス状になった表層と深層を慎重に腑分けしながら、イメージのなかを彷徨うことになる。‬

「夢十夜」は、絶えず解釈への誘惑を漂わせるともに、随所に安全装置を仕掛けているかのようだ。「こんな夢を見た」という有名な冒頭は、まさに意識下の出来事を意識して著述する、という行為のナンセンスをわずか七文字のなかに含んでいる。だからこそ、安心して私たちは正しくもなく誤りでもない解釈といつまでも戯れることができるのだろう。‬

 

 

●【非常に素晴らしい分析&感想を頂いた中から抜粋】

 

暗示的な方法を使いながらも、漱石はかなりはっきり志向性を持って自分の考えを表現しており、慎重に・正確に読みとけば、大筋の部分では『多様な解釈が成り立つ』というよりは「正解」が存在する作品だと思う。この夢には10夜を、夏目漱石を貫き、現実に達する強烈なベクトルが仕込まれている。

 

夢の力:そもそもフィクションは、あらかじめ作り事であることを明かし、現実を離れることで胸襟を開かせ、共感を軸に、他者に語りかける開かれた強力なコミュニケーションツールである。夢語りにはここからさらに、人の辻褄の合わない深層部分について語ることで、我々の懐深くに(比較的)容易にアクセスするエフェクトがある。漱石はこれらのことをよく承知で夢十夜を書いている、と考えられる。

 

彼の語りたかったテーマ:「西洋化、変化していく日本(特に宗教観)」、「自分・自我」と考える。これは彼の普遍的なテーマである。

夢はその表層だけみると荒唐無稽、又はたわいもないものである。しかし、夢の形をとって現れるのは、①人類もしくは日本人など集団に共通する深層心理 ②個人の深層心理 である。これらも夢ときに加えて考えていく。

モチーフが伝統的であることと、伝統の内に収まっていること、は全く違う。むしろ、漱石は日本の伝統的な宗教や文化の行き詰まりや限界を表現している。と私は考える

 

第1夜

夢の特殊性を前面に出して、一気に読者を夢の世界へ引き込んでいく。

幻想の圧倒的な美しさ。夢の中なので、時間の感覚が狂っていて百年がすぐ過ぎる

女の目に映る「自分」を見つめる漱石

主客の逆転:

「自分の姿をしっかり見る。ほら、そこに映っている、じゃ、私わたしの顔が見えるかいと一心いっしんに聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんか」。漱石が自分の目に映っていることを女が見ることはできない(漱石は見ることができても)主客の入れ替わり、トリックが仕込まれている。

 

第6夜
運慶が護国寺で仁王作り。明治の木にはとうてい仁王は埋うまっていないものだと悟った。日本人の宗教観の変化を表しているのだろうか。

第7夜
 どこへいくのか分からない船は西へ向かっている船は西洋化する日本を象徴するのではないか。
 異人に聞かれる 「神を信じるか?」→答えずに星を見る
参加者:considerは“星を見る”が語源である。
 自分:私は星を見た、は、考えている、ということか。

 

第10夜
庄太郎、女に惹かれてついていく、数多の豚(欲望)に押し寄せられる。
洋装をしている、堕落して快楽に溺れる西洋化した日本人の象徴だろうか。 
欲望の戒め。
庄太郎は最初第8夜が出てきて、第10夜に登場する。間の第9夜で“父親”が死んだ話が出てくる。これは父性(旧来の日本的道徳)の消滅を意味するのではないだろうか。叱ってくれる父のいない(確固たる規範の崩壊)放蕩の時代の到来を予感

 

思わず買ってしまう新潮プレミアムカバー

課題本 夢十夜

■読書会を終えて

 

世界は一変してしまい、もはや「今まで」と同じには戻れないのかもしれません。

そんな中でこのような読書会を通じて他者との繋がりを得る事、それがいかに大事かを実感しました。

早く「通常」の読書会に戻りたいとも思いますが、「通常」とは何か、とふと考えてしまいます。本の流通が滞っていてなかなか手に入らない本も多いので、課題本に悩みますが、随時開催していきたいと思いす。